放埒の美学という言い訳

やってしまった……いろいろと金が入用なのに、後輩と飲みにいって散財してしまった。一軒目で解散しておけばまだよかった。なんというか、かっこつけて「もう一杯くらいなら奢るよ」と言って二軒目に行ったのがまずかった。もう一杯の一杯が、たった一杯で済むはずがなく、僕らはいっぱい飲むために居座ることになってしまった……。

しかし、飲むなら飲むでぱーっと飲んで欲望を発散させきってしまったほうがいいんじゃなかろうか、ほら、どこぞの地下の班長もそんなこと言ってたし……

学問的に見ても、マルセル・モースが云々言ってたポトラッチがどうこうってのも、ようはそういう話じゃないんですかね。酒を飲む人間は、原始的な儀礼の中にあるのです。うん、その中では相手から与えられたもの以上の返礼をしないと、恐ろしいことになってしまうのです。とか何とか言ってみたり。

 

 

ええ、わかっておりますとも。そんな詭弁、結局飲酒欲をコントロールできない人間に金を使わせるためだけのものだってことは。お酒について語られるすべての言葉は、最終的にいっときの酩酊に吸い込まれ意味をなさなくなってしまうのです。でも、それでいいじゃないですか。だって、今楽しいんだもの!(ダメ人間の論理)