けものフレンズ最終回について、思うこと

最後まで貫かれた「優しい世界」観

3月28日、2017年冬アニメの中で最も異色と謳われ、かつ熱狂的なファンを多く生み出した「けものフレンズ」が最終回を迎えた。放送開始当初は、ぎこちないCGモデルの動きや稚拙な声優の演技、そして茶番めいた「狩りごっこ」から始まるストーリーによって多くの視聴者から敬遠されたものの、回を重ねるごとに、主人公かばんと少女化した動物、通称フレンズとの温かい掛け合いや、その背後に漂うポストアポカリプティックな雰囲気が話題となり、気づけば覇権アニメの一角とすら言える地位にまで上り詰めていた。

この人気のふたつの理由のうち、前者を象徴するのが「優しい世界」というワードだろう。かばんとサーバル、そしてガイド役のラッキービーストの旅は、「手助け」を軸に成り立っている。かばんがヒトとしての知恵を活かし、フレンズたちの悩みごとを解決、かばんたちとフレンズは友達になり、かばんたちは次の地方へ……このサイクルに、諍いや暴力の入り込む余地はない。誰も傷つかない、優しい世界。しかし、11話に至ってこの優しい世界にはじめて影が差す。大型化した黒いセルリアンに捕らわれたサーバルを助けることに成功するも、今度は自らがセルリアンの餌食となってしまうかばん。このシナリオは多くの視聴者に動揺を与えた。次回予告の不穏さも相まって、この優しい世界の結節点となっていたかばんが失われてしまうかたちでの結末もありえるのではないだろうかとの憶測も出ていた。そうした不安の中放送された12話は、フレンズたちがかばんを救い出し、セルリアンを倒し、「ゆうえんち」でパーティを行うというもので、多くの視聴者を安堵させた。ニコニコ動画で無料公開されている第1話には12話放送後、この結末をもたらされたことに感謝するコメントで溢れていることからも、「優しい世界」の維持がこのアニメの視聴者にとってどれほど重要な問題であったかということがうかがえる。

 

ジャパリパークは優しい世界か?

こうした大団円の雰囲気に、水を差すのは気が引ける。ただ、個人的にはどうしても、このエンドは少しお気楽すぎるような気がしてならない。そのお気楽さをもっとも感じるのが、セルリアンとヒトとの関係についてのギンギツネと博士たちの会話だ。

ギンギツネ「かばんの話を聞くに、ヒトがセルリアン対策に積極的に動いていたみたい」

助手「なるほど、それでヒトの近くにセルリアンが」

博士「むしろセルリアンの近くにヒトが、ということですね」

キンシコウ「パークを守ろうとしたその気持ち、わかる気がします」

 

ヒトの近くにセルリアンが多かったという情報を提供したのは、7話での博士である。セルリアンは無機物にサンドスターが反応して生まれた存在であるという点を踏まえるならば、ヒトは道具を作り使うことで、まさにセルリアンを生み出す原因であるはずであり、フレンズにとってセルリアンに食べられることが記憶や言語、そして他のフレンズと築いてきた繋がりなど、アイデンティティの喪失を意味する以上、たとえヒトがセルリアンの駆逐に尽力しようとも、両者のあいだには常に亀裂までとはいかずとも、緊張状態が生じる可能性があるはずなのだ。その点を最終回において、「セルリアンと戦い、守ってくれたヒト」という優しい世界の論理で締めくくってしまったことには、少々不満が残る。それはなんとも、ヒトにとって都合の良すぎる展開だと思うのだ。

とはいえ、その点については話数的な制約もあっただろうし、どのような形になるかわからないが新作映像の制作も発表されている。あわよくば、これがけものフレンズ2期であり、そこでこの問題について突っ込んだ展開があればと望んでいる。それに、ストーリー全体としてはやはりうまくまとまっているし、最終回の展開もありきたりではありながら、というかそれゆえにだろうか、素直に感動できて、個人的にはすごく好きなアニメであったことは間違いないのだ。

今のところ、これ以外にもセルリアンの役割とか、ジャパリまんについてとか、ちょっとずつ思うところがあるので、それについてもまとまったらまた書いてみたいと思う。