ビールの詩情は存在しうるか

ポエジーと相性のいい酒というのがいくつか存在すると思う。

最たるものは多分ウイスキー。この琥珀の液体を一人啜っている男は絶対何か詩的なことを考えているに違いない。ワインもまた、風情がある。日本酒には日本酒で、和の赴きがあるし。

一方でビールには、そういうのが決定的に欠けていると思う。ビールってのは、もうとことん騒々しくて、それで泥臭い感じの飲み物なんだと思う。

 

ただ、村上春樹のタイトルは忘れたけど何かの短編に、3人でビールを10本だか20本だか飲み干したって描写があって、ビールが何かしら文学的な赴きを帯びることができるとしたら、ああいう方法でなんだろうなぁと思った。ビールをテクストに流し込んでいくとき、そこに「味わい」がないこと、ただただ破滅的な消費の過程だけが示されていること、それが逆説的にビールの詩情となるんじゃないか、みたいなくだらないことを考えてた。